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かぐや姫とナガスネヒコは、東北に逃れたのかもしれない



——語られなかった、もう一つの日本史の気配

「語られていないこと」の中に、私たちの想像力を揺さぶる真実が潜んでいることがあります。

たとえば、かぐや姫とナガスネヒコ——。まったく異なる物語に登場するふたりが、ある“共通の風景”で重なる可能性があるのをご存知でしょうか。


ナガスネヒコは、どこへ消えたのか?

ナガスネヒコ。日本神話に登場する、大和朝廷以前の在地勢力の象徴。神武天皇の東征に立ちはだかった存在です。

『古事記』や『日本書紀』では、彼は「討たれた」とされてはいますが、その末路ははっきりと語られていません。

一部の研究者や民間伝承では、彼は「東北に逃れ、姿を消した」と語られています。そのまなざしの先にあったのは、中央政権の手が届かない、“もうひとつの日本”。


かぐや姫は、なぜ地上にいたのか?

かぐや姫もまた、「追放された者」でした。月の世界に背を向け、地上に身を隠すようにして生きる。

その存在は、“高貴でありながら疎外された存在”として描かれ、最後には、再び月の使者に連れ戻されます。

彼女の物語に潜むのは、「中央からの隔絶」と「静かな抵抗」。これを神話的な象徴と見るならば、ナガスネヒコとの“感覚的な重なり”が見えてきます。


東北は、逃れてきた者たちの聖地だった

日本列島の北、東北地方。ここには、古来から「中央に従わなかった者たち」が静かに根を下ろしてきた歴史があります。

たとえば——

  • 蝦夷の英雄アテルイ。

  • 出羽三山を開いた皇子・蜂子皇子。

  • そして、青森・新郷村に伝わる「キリストの墓」伝説。

追われた者、選ばれなかった者、異質な光を持つ者たちが、この地に逃れ、息をひそめながらも「もうひとつの物語」を紡いでいたのかもしれません。


語られなかった歴史という、ひとつの希望

ナガスネヒコとかぐや姫。ふたりが東北にいたという証拠は、どこにもありません。

けれども、彼らの“気配”のようなものが、伝承や風土のなかに漂っているのです。

語られてこなかったということは、まだ誰も自由に想像していい、ということでもあります。

彼らはただ敗れ、ただ戻ったのではなく、“ここ”に来て、生きていたのではないか——。そんな想像が、静かにこの土地の記憶をゆさぶります。


最後に

歴史は、勝者によって編まれます。しかし、物語は、忘れられた者たちの手の中にもある。

かぐや姫とナガスネヒコ。もしこのふたりが、東北の山の奥、あるいは風の中で出会っていたとしたら。

それは、「もうひとつの日本史」の扉が、すでに開いていたということなのかもしれません。

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