損か得か。意味は必要か?
- Takahito Matsuda
- 4月14日
- 読了時間: 2分

― 答えの出ない問いと、どう向き合うか
「それ、損じゃない?」「その行動に、意味あるの?」
気づけば私たちは、あらゆるものに「損得」と「意味」を求めて生きている。
仕事、恋愛、人生の選択、SNSでの投稿にさえ――「効率」と「意義」がないと、やる意味がないと思い込んでしまう。
でも、本当にそうだろうか?
◆ 損得で判断し続けることの違和感
損するくらいなら、やらない
得にならないなら、動かない
リターンがないなら、意味がない
そんなふうに行動を制限し続けていくと、気づけば「本当にやりたかったこと」からどんどん遠ざかっていく。
得することばかり選んで、損して得られる“何か”を失っていないか?
◆ 意味がなければ、価値はないのか?
意味のない行動に不安を感じる。誰かに「それ、何のためにやってるの?」と聞かれると、言葉に詰まる。
だけど、考えてみてほしい。
意味がわからないまま始めたことが、後に人生を変えた
なんとなく惹かれて続けていたことが、誰かの希望になった
意味は、あとからついてくるものかもしれない。
◆ 「損得」も「意味」も超えて
損か得か。意味があるかないか。それらの問いは、私たちにとって便利な「物差し」だ。
でも、人生において一番大切なことは、**“自分が本当にやりたいかどうか”**なのかもしれない。
得しなくても、意味がわからなくても、やりたいなら、やればいい。惹かれるなら、踏み出していい。
◆ おわりに:問いの先にあるもの
「意味がないからこそ、おもしろい」「損するかもしれないけど、やってみたい」
そんなふうに生きる人は、“効率”では得られない豊かさを手にしていく。
損か得か。意味は必要か。その問いに縛られるより、その問いの先にある“生きる実感”を、信じてみたい。
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