消費社会の中で、静かに「わたし」を取り戻す
- Takahito Matsuda
- 4月4日
- 読了時間: 2分

気づけば、欲しいものも、欲しがる理由も、誰かに決められていたような気がした。
もっと便利に、もっと速く、もっと多く。そんな言葉に追われながら過ぎていく日々の中で、ふと立ち止まる瞬間があった。
本当に、これは「わたしの幸せ」なのだろうか?
削ぎ落とすことで見えてきたもの
私は、消費や欲望を「否定」するのではなく、ただ静かに「手放す」ことを選びました。
— 持ちすぎない暮らし— 急がない生き方— 比べない心
その中で気づいたのは、何もない瞬間が、実はいちばん満たされているということ。
大切にしたいのは、「時間」と「体験」、そして「幸福」
買い物ではなく、森の中を歩く時間に。画面を見るのではなく、空の色の移ろいに。予定を詰め込むのではなく、風の音に耳を澄ます余白に。
自然のリズムに身を任せながら、アートや創作を通じて「今ここ」の感覚を味わう。その一瞬一瞬が、自分を取り戻す感覚につながっていく。
自由に生きるということ
「自由」とは、どこか遠くにあるものではなく、日々の選択の積み重ねの中にあると感じています。
何を持つかではなく、何を持たないか。どこへ行くかではなく、どう在るか。
私は、アートと自然に支えられながら、「小さな自由」と「静かな幸福」を集めて暮らしています。
資本主義と、いい距離感で生きるために
私は資本主義の中にいながらも、そのスピードや価値観に巻き込まれすぎず、“うまく共存する道”を選んでいます。
便利なものは使うけれど、依存しすぎない。SNSもやるけど、見られることより感じることを大切にする。
そんな風に、これからも“自分のリズム”を守りながら、自由で、スローな、生き方を続けていきたい。
さいごに
もしあなたも、「なんとなく違和感」を感じながら日々を過ごしているのなら、その直感は、きっと正しい。
消費では得られない“満たされる感覚”は、自然の中に、創造の中に、静かな時間の中に、ちゃんと存在しています。
わたしはそれを、日々の暮らしの中から見つけていく旅の途中です。あなたの旅も、どこかで重なることがあったなら、嬉しいです。
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