雨の山形、庄内──神話が息づく静けさのなかで
- Takahito Matsuda
- 4月23日
- 読了時間: 2分

庄内に雨が降る日、どこか時間の流れがゆっくりになる気がします。
鳥海山は、霧に包まれて稜線を隠し、田んぼの水面には空と雲が静かに揺れる。人の声も、足音も、いつもより少し小さくなって、世界が“沈黙という言葉”で話しかけてくるようです。
この庄内の風景には、遠い昔から神話が重ねられてきました。
たとえば、出羽三山。羽黒山、月山、湯殿山――それは「生・死・再生」を巡る“神話の道”。
その中心にある湯殿山は、「語るなかれ」と伝えられ、ご神体に直接手で触れるという、日本でも稀な“生の祈り”の場所です。
神話とは、何か特別なものではなく、本当はこうした“日常の中に隠された聖”のことを語り継いでいるのかもしれません。
庄内に降る雨は、その神話の続きを、静かに地にしみ込ませているように思えます。
ふきのとうが土から顔を出す頃、地元の人たちは春を迎え入れる準備を始めます。竹の子、山菜、清水…。
それらをいただくことは、この土地の命の循環に、感謝の手を添えること。それ自体が、ひとつの“神事”なのかもしれません。
そして、こうした静けさのなかで、誰もが一度は思い出すような感覚があります。
――自分は、どこから来て、どこへ向かうのだろう。
神話の語り部はもういないかもしれません。けれど、その答えのかけらは、雨の庄内に、きっとまだ残っています。
葉を打つ雨音。遠くに聴こえる鐘の音。しめ縄の濡れたにおい。
それらに耳を澄ませることで、「六根清浄」――すなわち心と身体を整える道が、いまも確かに息づいているのです。
雨の日の庄内は、ただの観光地ではなく、“語られぬ神話”を感じる場になる。
多くは語らなくていい。ただ感じれば、それでいい。
それが、この地が教えてくれる、もうひとつの祈りのかたちなのだと思います。
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