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編小説 「自分を大事に」



 朝、目が覚めると、男は二人になっていた。ひとりはベッドの上に、もうひとりは窓際に立っていた。どちらも同じ顔をしていたが、片方は疲れ果て、もう片方は穏やかに微笑んでいた。

「お前は誰だ?」ベッドの上の男が尋ねると、窓際の男は静かに答えた。「お前がずっと後回しにしてきた、お前自身だよ」

 思い返せば、他人の期待に応え、義務を果たし、求められる自分を演じるたびに、少しずつ本当の自分を削り取ってきた。窓際の男は、そんな自分の残りかすではなく、かつて大切にされるべきだった自分の姿なのだ。

「まだ間に合う?」

 窓際の男は微笑み、手を差し出した。「もちろん。自分を大事にしようと思うなら、いつだって」

 男は深く息を吸い込み、差し出された手を握った。その瞬間、窓から差し込む光が眩しく輝き、部屋の空気が少しだけ温かくなった気がした。

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