カラダは物質。でも、意識はどこまでも自由。
- Takahito Matsuda
- 7月23日
- 読了時間: 2分

私たちの「からだ」は、目に見えるし、触れることもできる。疲れれば休むし、年齢とともに変化もしていく。だからこそ、私たちはつい「自分=身体」と思いがちです。
でも、ふとした瞬間に気づくことがあります。私たちの“意識”は、どうやらカラダだけに留まっていないのでは…と。
意識が「時間」や「場所」を超えるとき
たとえば、こんな体験はありませんか?
・何年も会っていない人を、ふと思い出したら、次の日に偶然会った・初めて行く場所なのに、なぜか懐かしく感じる・夢の中で誰かと語り合い、目覚めても心に残る感覚がある・「なんとなく」未来を感じるような予感が当たる
そんな体験は、私たちの意識が時間や場所、次元といった制限を超えてつながっている証なのかもしれません。
意識とは、もうひとつの“自分”
カラダは地球の物質。けれど、意識はもっと広く、深く、自由で、過去や未来、遠く離れた誰かの想いともつながることができる。
“自分”という存在は、今ここにいるようで、同時に見えない場所や時空にも広がっている。それが「意識」というもうひとつの自分。
本当の自由は、内側から始まる
目に見えるものにとらわれず、自分の内側の感覚や直感に耳をすませること。
そこには、「言葉にできないけど、たしかに感じる何か」が、きっとあるはずです。
そしてそれは、あなたの魂が、あなたにだけ届けているメッセージかもしれません。
最後に。
わたしたちの意識は、もっと自由で、もっと深く、もっとつながっている。この世界の不思議さに少しでも心がふれたとき、ほんの少し、見える景色が変わるかもしれません。
それは、世界を変える第一歩。なぜなら、“世界”は、いつだって、自分の内側から広がっていくものだから。
コメント