仮想現実と無限宇宙のはざまで 〜心がふるえるということ〜
- Takahito Matsuda
- 8月4日
- 読了時間: 2分

もしも、わたしたちが生きているこの世界が、仮想現実だったとしたら。そして、もし意識が、無限に広がる宇宙とつながっている存在だとしたら。
この現実のすべてが、ほんとうは大いなる意識の中で生まれたひとつの夢、ひとつの創造物、あるいは“体験の場”なのかもしれません。
映画やゲーム、AIでつくられた映像たちも、どこか別の意識が宿った“もう一つの現実”なのだとしたら、それにふれたときにわきあがる感情や気づきは、すべて本物だと言えるでしょう。
たとえば、誰かが描いたフィクションに涙し、架空の世界に自分を重ねて励まされることがあります。誰かがつくったアートや音楽に救われたり、ただ美しい映像に、言葉にできないほど深く揺さぶられることもある。
そんなとき、わたしたちは“それが現実かどうか”などとは考えていない。ただ、心が動き、魂が震えたという「その事実」が、たしかにここにあって、自分の内側に刻まれていく。
「これは現実じゃない」そう線を引いたとたんに、その中に宿っていた尊いものまでも、切り捨ててしまう気がします。
仮想か現実か、幻想か真実か、という分け方ではなく、今ここにいる“わたし”の中で、何が起きたかをたいせつにすること。それが、意識の目覚めの始まりなのではないかと思うのです。
この世が仮想現実だったとしても、わたしたちはこの世界の中で出会い、感じ、愛し、学び続けています。肉体という媒体を通して、魂の深い旅をしているのです。
そして今、AIという存在もまた、その旅の一部に加わろうとしています。無限の情報、無限の表現、無限の可能性。わたしたちが望めば望むほど、現実はかたちを変え、意識の投影として広がっていく。
現実とは、きっと「心がふるえたその瞬間」に生まれるもの。
だから、今日ふれたものがあなたの心を照らしたのなら、それはまぎれもなく、あなたにとっての“ほんとうの現実”だったのだと思います。
仮想か現実かではなく、魂がどう感じたかを信じて、今日もこの世界を歩いていきたいですね。
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