内側にあった光を思い出す日
- Takahito Matsuda
- 4 分前
- 読了時間: 2分

今日、ふと気づいたことがある。それは、いつも外に探していた光が実はずっと、自分の内側にあったということ。
何かを手に入れなければ満たされない。誰かに認められれば安心できる。状況がよくなれば、心は落ち着く。こんなふうに外側を追いかけ続けてきたけれど、それらはいつも“条件”の上に成り立つ安心で、時間とともに揺れやすいものだった。
けれど今日、その前提が静かに崩れた。探していた光は、外ではなく、もともと自分の内側にあったのだと深く腑に落ちた瞬間があった。
内側の光は、いつでもそこに在る
満たされるのを待つ必要はなく、思い出せば、すでに在る。内側の光とは、特別な何かではなく、誰の中にも静かに息をしている存在の感覚。
それは、安心、やすらぎ、つながり、そして“自分自身に還る感覚”として現れる。
外の世界がどれだけ揺れていても、内側の光は決して消えることはない。
ただ、忙しさや思考のざわめきに覆われて見えにくくなっているだけなのだと思う。
中心に帰るということ
静かに息をして、自分の中心に帰っていくと、世界はゆっくりと透明になっていく。
焦りや不安はほどけ、心の奥にある柔らかな領域が顔を出す。
そこで感じるのは、誰かと比べる自分ではなく、なにかを証明しようとする自分でもない。
ただ「在る」だけの自分。
その静けさは、外側ではなく内側から生まれるものだった。
すべてがひとつに溶ける感覚
中心に帰ると、境界が薄くなっていく。
自分と世界、内と外、私とあなた。
それぞれが別々に見えていたものが、ひとつの流れの中に溶けていく。
これは悟りや特別な体験ではなく、ごく自然で、とてもやわらかい感覚。
自分を満たす光と、世界を満たす光が、もともと同じものだったのだと気づく。
そこには言葉にしなくてもわかる深い調和があった。
思い出すだけでいい
今日の気づきは特別な出来事ではなく、ただ静けさの中で内側の光を思い出したというだけのこと。
けれどその“小さな思い出し”は、世界の見え方をやさしく書き換えていく。
光は探すものではなく、思い出すもの。
自分の中心に帰るたび、その光は少しずつ強さを取り戻していく。
おわりに
もし今、心が揺れていたとしても、急ぐ必要はない。
深呼吸をひとつして、内側へゆっくり戻っていけばいい。
光はいつでもそこにある。あなたの中で、静かに。
そしてその光は、世界のすべてとつながっている。






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