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超短編小説 「風の名前」


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 風には名前がない、と誰かが言った。だが、それならば、今この窓の外を通り過ぎる風を何と呼べばいいのか。名もなきものに怯えるほど、私は臆病ではない。


 部屋の隅に積もった書類が、風に煽られて散った。まるで、それが自らの意志で飛び立ったかのように。私は足元に舞い落ちた一枚を拾い上げる。見覚えのない文字が並んでいた。いや、本当に見覚えがないのか? 記憶の奥底で、それは微かに息づいている気がする。


 窓の外、誰かが立っている。黒い影が風とともに揺れていた。見上げると、その影は私の名を呼んだ。確かに、私の名前を。


 風には名前がないはずだった。けれど、今、私は風の名を知ってしまったのだ。

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