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超短編小説「幸福の標本」


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 男は瓶詰めの幸福を集めていた。

 古びた書斎の棚には、様々な形の瓶が並んでいる。笑顔を浮かべた写真が入ったもの、赤ん坊の小さな靴下が詰まったもの、乾燥した花びらとともに手紙が折りたたまれたもの。男はそれらを一本ずつ手に取り、光にかざして眺める。

「これは、母が作ってくれたカレーの香り」「これは、初めて自転車に乗れた日の風」

 ある日、男は気づいた。どの瓶も、過去の幸福ばかりだった。今の幸福はどこにあるのか? 手に入れた幸福は、瓶に閉じ込めた瞬間に過去になるのだ。

 男は一本の瓶の蓋を開けた。長い間閉じ込められていた幸福が、空気と混ざり合い、消えていく。

 幸福は、集めるものではなく、今、ここで感じるものだった。

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