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これからの時代を導くもの――愛と調和と知性について
■ 支配の時代から、響き合う時代へ 長い間、「力」とは、誰かを支配し、動かし、従わせることだと信じられてきました。 けれど今、その構造は音もなく崩れ始めています。 力で支配する時代は終わり、これから必要とされるのは、愛で包み、調和を保ち、知性で気づかせる力。 それは、静かだけれど、本質を動かす「ほんとうの強さ」だと私は思います。 ■ 愛とは、変えようとしないこと 愛とは、誰かを自分の型に当てはめることではなく、相手をあるがままに受けとめる力です。 ジャッジせず、比べず、その人の光も影もまるごと認める。 表面的な優しさではなく、深くて、静かで、揺るぎない“信頼のまなざし”。 そんな愛があるとき、人は本来の自分に戻れるのだと思います。 ■ 調和とは、違いを尊ぶこと 調和とは、「すべてが同じになること」ではありません。 むしろ違いがあるからこそ、響き合える世界になる。 互いの価値観や背景を理解しようとする姿勢、ぶつかるのではなく、余白をつくって生きること。 その“余白”にこそ、人と人の美しさが宿るのだと思います。 ■ 知性とは、静かに問いを投げかけるこ


禅の教えに学ぶ、シンプルに生きるということ
1|モノも情報も、溢れすぎた時代に 今の時代は、たくさんのモノに囲まれ、いつでも情報が手に入る時代です。 それはとても便利だけれど、気づけば、「足りない」と思い込まされる仕組みの中で、私たちは、いつも何かを追い続けています。 もっと持たなければ、もっと知識を得なければ、もっと成功しなければ…。 でも、本当にそうでしょうか? 2|禅が教えてくれる、“足るを知る”という感覚 禅の世界では、「足るを知る」という言葉があります。 いま、ここにあるもの。自分の目の前にある日常。それらに気づき、感謝し、それで「もう十分」と思えること。 モノを増やすことで満たされるのではなく、心の内側が、静かに満たされていくこと。 それが、禅の考える“豊かさ”です。 3|削ぎ落とすことで、見えてくるもの 禅の空間は、とてもシンプルです。余白があり、静けさがあり、整っています。 それは決して“何もない”のではなく、「本当に大切なものだけを残した」結果なのです。 呼吸。季節の移ろい。湯気の立つ一杯のお茶。誰かと交わす、あたたかな一言。 そのひとつひとつに、ちゃんと気づける自分でい


日本人を、取り戻そう。
― 売られていく水、そして私たちの誇り ― ■ はじめに 静かに、しかし確実に――この国の“当たり前”が、売られている。 私たちが毎日何気なく使っている「水」。その水道事業が、今、外資を含む民間企業の手に委ねられようとしています。 これは単なる行政改革やコスト削減の話ではありません。命の源に値札を貼ること。私たちの暮らしの根幹を「ビジネス」に明け渡すこと。 そして、それは「日本人らしさ」の喪失でもあります。 ■ 水道民営化とは何か? 2018年、日本の水道法が改正されました。この改正により、自治体が水道事業の「運営権」を民間企業に売却できるようになりました。これを「コンセッション方式」と呼びます。 表向きは「効率化」「財政健全化」。しかしその裏では、外資を含む多国籍企業が、日本の水インフラに参入できる道が開かれました。 ■ 外資の影――宮城県の事例 その象徴が、宮城県での事例です。 宮城県では、ヴェオリア・ジェネッツ(仏系多国籍企業)が含まれる企業連合に、水道の運営権を委ねることが決定しました。 ここで問いたいのは、ただの「業務委託」かどうかでは


かぐや姫とナガスネヒコは、東北に逃れたのかもしれない
——語られなかった、もう一つの日本史の気配 「語られていないこと」の中に、私たちの想像力を揺さぶる真実が潜んでいることがあります。 たとえば、かぐや姫とナガスネヒコ——。まったく異なる物語に登場するふたりが、ある“共通の風景”で重なる可能性があるのをご存知でしょうか。 ナガスネヒコは、どこへ消えたのか? ナガスネヒコ。日本神話に登場する、大和朝廷以前の在地勢力の象徴。神武天皇の東征に立ちはだかった存在です。 『古事記』や『日本書紀』では、彼は「討たれた」とされてはいますが、その末路ははっきりと語られていません。 一部の研究者や民間伝承では、彼は「東北に逃れ、姿を消した」と語られています。そのまなざしの先にあったのは、中央政権の手が届かない、“もうひとつの日本”。 かぐや姫は、なぜ地上にいたのか? かぐや姫もまた、「追放された者」でした。月の世界に背を向け、地上に身を隠すようにして生きる。 その存在は、“高貴でありながら疎外された存在”として描かれ、最後には、再び月の使者に連れ戻されます。 彼女の物語に潜むのは、「中央からの隔絶」と「静かな抵抗」。


神話は、山に生きている。― 出羽三山で感じた「死と再生」の旅 ―
ずっと、出羽三山に行きたかった。羽黒山、月山、湯殿山。この三つの山は、それぞれ「現世・死・再生」を表すといわれている。 それはまるで、日本最古の神話──イザナギが黄泉の国へ入り、帰ってきて禊(みそぎ)をし、新しい命を生んだという、“死と再生”の物語そのものだ。 羽黒山――現世の入り口 最初に訪れた羽黒山。杉並木に覆われた石段を登ると、空気が変わる。鳥の声、風の音、土の匂い。すべてが優しく、静かに「ようこそ」と語りかけてくる。 ここは現世。でも、何か大きなものに導かれているような不思議な感覚があった。 月山――死の象徴 月山は、イザナギの神話に登場する「月読命(つくよみのみこと)」を祀る山。イザナギが黄泉の国から戻り、身を清めたときに生まれた“夜と月”の神だ。 山の上に立つと、雲が足元を流れ、空と大地の境界が曖昧になる。この世とあの世の間に立っているような、そんな錯覚。足を踏み出すたび、「自分が少しずつ死んでいく」ような感覚すらあった。 湯殿山――再生の地 湯殿山に足を踏み入れた瞬間、全身が「沈黙」に包まれる。 この場所には、はっきりとした社殿はな


周縁から始まる変革──壊れゆく資本主義と、庄内という可能性
はじめに 「資本主義が壊れかけている」と感じることが、きっとあなたにもあるかもしれません。 どれだけ働いても、どれだけ便利になっても、本当の意味で「安心」や「つながり」が得られない。 物は満ちても、心が満たされない。 そんな時代に、次のヒントは“中央”ではなく、“周縁”にあるのかもしれません。 静かに、風土に根ざす暮らし 山形・庄内。ここには、変わらない風景があります。 季節に寄り添い、自然とともに暮らす人たち。作りすぎず、捨てすぎず、あるもので、今あるものを大切にして生きる知恵。 農、漁、手仕事。一見、素朴に見える日々のなかに、人間の本当の豊かさが宿っています。 それは、「自然を利用する」ではなく「自然に生かされる」という感覚。 この風土が育む価値観は、今こそ社会が取り戻すべきものかもしれません。 派手さではなく、誠実が残る場所 庄内の暮らしには、テレビやSNSで話題になるような派手さはありません。でも、そこにあるのは、誠実な手と静かな誇り。 人を出し抜くことより、一緒に生きることが大切にされてきたこの地域では、「成功」という言葉の意味も、どこ


ここにしかない、いのちの風景──庄内という思想から見える未来
はじめに 速く、正しく、効率よく。いつの間にか、そんな言葉ばかりが日常になっていました。 けれど、ふと立ち止まったとき、私たちは本当にそれを望んでいたのだろうか?そんな問いが、心の奥から聞こえてくることがあります。 その問いに、まっすぐに向き合っている場所があります。それが、山形・庄内という土地です。 風とともに暮らす人たち 庄内には、自然と争わずに生きる人たちがいます。 風の音を聞き、空の色に今日の調子を教わり、雨の日は、静かに家の中で手を動かす。 便利とは言えないかもしれません。でも、そこにはゆるぎない強さがあります。 自然に生かされていることを忘れず、命のリズムに寄り添って生きる暮らし。そこには、人と自然をつなぐ愛があります。 本物が残る理由 速くて安いものがあふれる時代。けれど、本当に心に残るものは、人の手で丁寧に作られたものです。 庄内には、今も手仕事が息づいています。土のにおいがする野菜、使うほどに味わいが増す器、言葉にしなくても伝わる笑顔。 それは派手ではないけれど、誰かのために手をかけるという、あたたかい気持ちが込められています。


静かに生きる、という選択
「もっと速く、もっと効率よく、もっと目立つように。」 都市で暮らしていると、そんな“競争の声”が常に聞こえてくる。だけど庄内では、それとはまったく違う生き方が息づいている。 それは、“静かであること”を価値とする暮らし方。 目立たずとも、誠実に。効率よりも、丁寧に。速さよりも、季節のリズムに寄り添って。 “静かに生きる”という選択は、今、時代の本質に近づきつつある。 【1】声を張り上げない土地の気質 庄内の人々は、控えめで多くを語らないと言われる。けれどそこには、「言葉より行動」「主張より継続」という美徳がある。 「目立たぬ誠意」が日常に溶け込んでいるからこそ、信頼も、安心も、じんわりと広がっていく。 【2】都市にはない“静けさ”という豊かさ 静けさとは、単に「音が少ないこと」ではない。それは、心がざわつかないという状態だ。 庄内の田園風景、海の波音、鳥海山に吹く風の音。自然と共鳴するように、心も整っていく感覚がある。 静かさは、感情のノイズを消し、本当に大切なものだけを浮かび上がらせてくれる。 【3】情報より、関係性を大切にする文化...


自然に生かされるという感覚
「自然を征服する」それが近代社会が信じてきた進歩だった。 でも、庄内で暮らす人々の口から出てくるのは、「自然に生かされている」という言葉。 そこには、支配でも管理でもない、自然との“対話”や“共存”という思想がある。 この土地に根ざす生き方には、これからの時代を生き抜くための知恵が眠っている。 【1】四季の巡りが教えてくれること 庄内の自然は、優しさと厳しさの両方を教えてくれる。春は喜び、夏は労働、秋は感謝、冬は忍耐。このリズムが、人の暮らしと心を形づくってきた。 人工的な環境では得られない、「自然に合わせる」ことの知恵としなやかさが、ここにはある。 【2】自然の声に耳をすます暮らし 田植えは空を見て、風を読み、土の匂いを嗅いで決める。漁師は波の色や風の音から明日の動きを予測する。言葉にならない“自然の声”を感じ取る感性が、日常の中にある。 それは科学では測れない知性。数字ではなく、感覚で世界を理解する力だ。 【3】「いただきます」に込められた命との関係 庄内の食文化には、山の恵みも海の恵みも、すべて“命をいただく”という感謝が通底している。..
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